2007年03月

このエントリーを含むブックマーク 2007年03月13日

先日書いた日記 「コミュニケーション能力の育成を第一とする教育が格差社会を救う」を とても多くの方に読んで頂けた。 はてなブックマークに頂いたコメントを読むと、 多くの方に賛同して頂けたようで、ありがたいことである。

この日記の冒頭で言及した 「某大学情報系学部が主催した、企業と学生のマッチングイベント」 では、 多くの学生さん、先生方にお会いして名刺を配りまくったので、 そのうちの何割かのかたには、 この日記を読んで頂けたはずであり、 なんらかの反応を期待していた。

私はこの某大学情報学部の学生なのですが、 コミュニケーション能力の育成が最優先だったのかと驚きました。 1年生から研究室配属の事をいってるのですかね。 私からすると、コミュニケーション能力育成が最優先に行われている気はしません。
YasuyukiMiuraの日記「コミュニケーション能力」から引用

率直な話、このようなトラックバックを頂けて、 「この某大学情報学部」の教育も捨てたものではない (失礼) と、 ほっとしている。

そもそもコミュニケーションは意味が広い
コミュニケーションは会話などを対象にしていることが多いけれど、 文章だってコミュニケーションの一つなんです、広義で見れば。
同ページから引用

その通りだと思う。 Wikipedia「コミュニケーション能力」に倣って、 「コミュニケーション」を、 「論理的コミュニケーション」と「感情的コミュニケーション」に分けてみよう。

前者の「論理的コミュニケーション」は、 学生さんのうちに是非身につけておいてもらいたいコミュニケーション能力である。 トラックバック元の YasuyukiMiura さんも、 「技術力があってもそれが伝わらなければ意味がない」と書いているが、 自身の技術を高めるには、 論理的コミュニケーション能力が必須である。 技術が好きなもの同士、とことん議論すべきだろう。

その一方で、「感情的コミュニケーション」は、 若いうち (例えば 30歳前半まで) は手を出さないようにして欲しい コミュニケーション能力である。 特に研究者や技術者を目指そうとする若い人たちには、 周りの人がどう思うかなんかは気にせず、 (「空気嫁!」などの罵倒は無視して) 我が道を進んで欲しい。

バイトやサークルの方がコミュニケーション能力が必要な機会が 多いのではないかと思います。 私はバイトもしていないしサークルにも入っていないのでなんともいえませんが。
その後、コミュニケーションはエネルギーを多く使用するので、 若いうちはそのエネルギーを技術を身につけるために使用したほうがよい。 といった感じの話が続くのですが、そうでもないと思います。
同ページから引用

おっしゃる通り、(非技術系の)バイトやサークルは、 感情的コミュニケーション能力を身につけるには最適な場だと思う。 感情的コミュニケーションの何が問題かと言えば、 「エネルギーを多く使用する」ことにあるのではなくて、 「フツーの人が手を出さないようなマニアックなことに興味を持つ」 機会が減ったり、 マニアックなことにどんどんのめり込むモチベーションが途切れがちになるからだ。 「他の人と同じように考え、同じようなことに興味を持ち、同じような娯楽を楽しむ」 ことで、 感情的コミュニケーションは円滑に進むようになる。

もちろん、感情的コミュニケーション能力は社会生活を営む上で、 必要不可欠なものである。 だからこそ、情報系の学生さんを採用しようとする企業の多くも、 感情的コミュニケーション能力を重視した面接を行なっているのだと思う。 しかし、「論理」と「感情」が時に対立するように、 「論理的コミュニケーション能力」と 「感情的コミュニケーション能力」も、 時として相反する能力である。 どちらかを伸ばそうとすれば、 もう片方は犠牲となる。

例えば、デール・カーネギーの不朽の名著:

人を動かす 新装版 (単行本)
デール カーネギー (著)

では、「人を説得する十二原則」のなかの最初の二原則として、

  • 議論に勝つ唯一の方法として議論を避ける。
  • 相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。

を挙げている。 どちらも、技術的なディスカッションを行なう上では、 致命的な障壁となる。 相手の感情を思いやったりせずに テッテー的に完膚なきまで論理的に相手を打ちのめすことは若者だけの特権であるし、 ぜひそういう「真剣勝負」を積み重ねる武者修行の旅に出て欲しいのだ。

研究者や技術者は、 「人を動かす」以前に「モノを動かす」必要があるのである。 どんなに人を説得する能力に長けていても、 コンピュータを思う通りに動かせないプログラマは失格であるし、 どんなに人に感銘を与える建物をデザインできても、 その建物が地震で崩れるのであれば建築士は失格である。

自分ではモノを動かすことができないのに口ばかり達者な評論家の言うことには、 どうか影響されないで欲しい。 研究者・技術者に必要なのは、 まず第一に他の人よりうまくモノを動かす能力である。 そしてぜひ信じて欲しいのだが、 人を動かす能力は歳をとってからでも身につけることができる。 デール・カーネギーの著書にも、そういう事例はたくさん出てくるし、 私自身、 デール・カーネギーの著書など、感情的コミュニケーションに関する本を読み耽るようになったのは、 KLab(株)の創業に関わるようになった 34歳になってからのことである。



hiroaki_sengoku at 17:12|この記事のURLComments(1)TrackBack(3)技術者の成長 
このエントリーを含むブックマーク 2007年03月09日

某大学情報系学部が主催した、企業と学生のマッチングイベントに参加させて頂いた。 その学部では、 コミュニケーション能力の育成を最優先に考えているとのこと。 多くの企業は (情報系の) 新卒の学生さんに技術力よりは コミュニケーション能力を求めているというから、 そのニーズに答える形でこのような教育が行なわれるようになったのだろう。

だから責められるべきは大学側ではなく、企業側である。 なぜ情報系の卒業生に、 コンピュータ技術者としての素養ではなく、 コミュニケーション能力を第一に求めてしまうのだろう?

このイベントには、学生さん達による研究発表 (パネル展示) もあったのだが、 研究内容そのものよりも、 いかに分かりやすく説明するか、 さらにいえば、聞きに来た人にいかに満足してもらうか (ひらたく言えば、いかに「わかったつもり」にさせるか) に 重点を置いているという。 企業側参加者に配られたアンケート用紙は、 学生達の対応マナーの良し悪しや、 しゃべり方の巧拙の評価を問う項目ばかりが目立つものだった。 まるでファミレスやスーパーに置いてある「お客様アンケート」のようだったと 言ったら信じてもらえるだろうか?

もちろん私としては、 プレゼンの巧拙なんかには興味がなく、 まして「分かったつもり」状態を何よりも嫌い、 研究内容そのもの (特に発表者その人が研究活動を通して具体的に何を考えたか) に 興味があるわけで、 接客マナーの向上に腐心していた学生さん達には気の毒なのだが、 パネルに書いてあることそっちのけで質問しまくってしまった。

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学生のうちにコミュニケーション能力を身につけていれば、 たしかに就職したときに会社に慣れるのも早いし、 与えられた仕事を要領よくこなすことができるだろう。 技術にのめり込んで人付き合いが下手なまま社会人になるより、 よっぽど明るい未来が待っていそうである。

そもそも技術や学問やその他、フツーの人が興味を持たないようなことに 熱中すること自体が不幸の始まりである。 ちかごろは「ヲタク」が表舞台に登場することも多くなったわけであるが、 富と名声を獲得した「ヲタク」は正に氷山の一角であって、 彼らの成功は累々と築かれた屍の上の砂上の楼閣であることを忘れてはならない。

他の人と違うことに興味を持てば、 当然フツーの人が楽しんでいる娯楽では満足できなくなる。 これはとても大きな不幸である。 新たらしモノ好き、今風の言葉で言えば アーリーアドプタ (early adopter) はとても損をする。 もう少し普及するのを待っていれば安く買えるのに、 どうしてわざわざ値段が高いときに新製品を買うのだろう? 一つ一つの支払額の増分は大したことがないかもしれないが、 塵も積もれば巨額になる。 パソコンの黎明期は、パソコン関連にウン百万円投資した、 などという話は普通に耳にしたが、 今ではパソコン関連に二十万円以上費やすことの方が難しい (しかも何十年も前のウン百万円と言えば今だとその十倍以上の価値がある)。

変わり者が損するのは、物を買うときだけではない。 そもそも社会全体に対するサービスが、 多数派のためのものである。 ロングテールを狙ったサービスなんてのは嘘っぱちで、 ほとんどのサービスは 20% 以下の少数派のことは切り捨てている。 テレビ放送に至っては、 全人口のせいぜい 50% くらいのニーズしか満たしていないはずだが、 どれだけのカネと貴重な電波資源がテレビ放送網の構築に費やされているか 考えてみたことがあるだろうか? 民主主義の原則は「最大多数の最大幸福」である。 多数派に属さない人が切り捨てられて損をするのは当然だろう。 テレビなんて低俗だから見る気がしない、 なんて平然と言っている人の気が知れない。 他の人と同じように振る舞わなければ損をするのである。

血気盛んな青年期を過ぎれば、新しいことには興味を持ちにくくなる。 若いうちにコミュニケーション能力を身につけて、 大勢の人と馴染めるようになっておけば、 フツーの人が手を出さないようなマニアックなことに 興味を持ってしまうリスクは避けられる。 他の人と同じように考え、同じようなことに興味を持ち、 同じような娯楽を楽しむことができれば、 どんなに幸せなことか。

もちろん弊害もある。 新しいことを始める人が現われなければ、当然進歩も止まる。 しかし、世の中こんなに便利になったのだから、 これ以上何を進歩させる必要があるというのだろう? どんなことにも弊害は付き物である。 最大幸福のためには犠牲にしなければならないこともある。

それに、とっぴなことを始める人がいなければ、 誰もがフツーに働いてフツーに労働時間に見合った報酬を受取るだけの社会になる。 労働時間では測りきれない価値を 唐突に生み出す人がいるから富が一部の人に集まって 格差が生まれるのであって、 だれもが平凡な生活をするに留まっていれば格差社会など生まれるはずがない。 みんなが同じように考え、同じように行動し、同じように幸福な画一的な社会、 それこそが格差が無いみんながハッピーな理想社会である。

みんなが同じことをしていては進化がないと言い張る人がいるかもしれないが、 そもそも「進化」とは何だろう? 人間の大脳皮質はなぜ他の動物に比べて極端に大きいのだろう? 科学技術を発展させるため? 決してそんなことはない。 大脳皮質の容量だけを考えれば、縄文時代も現代もさして差はないのである。

なぜ人間の大脳皮質はこんなに大きいのか? それはコミュニケーションのためである。 複雑・高度化した社会 (原始人の社会にも複雑な人間関係があったと考えられているし、 集団生活を営む哺乳類の多くには様々な複雑な行動様式が観察される) をコミュニケーション能力を駆使して要領よく立ち回り、 より多くの子孫を残せた個体のみが遺伝子を次世代に伝えることができる。 平たく言えば、集団の中で異性に「モテる」方向へ、進化圧が働くのである。 人間を人間たらしめる本質はコミュニケーション能力にある。

一口にコミュニケーション能力というが、 情報処理能力としてみると驚異的な能力である。 相手の顔色を素早く読んで、その場の空気に最適な話題を振り、 わずかな声色の変化から相手の思考を読み取る。 我々はほとんど意識すること無く、 相手のわずかな目の動きやしぐさを読み取って コミュニケーションを行なっているが、 「意識せずに行なえる」から大したこと無いと思っては大間違いである。 下らない話に終始する井戸端会議ですら、 現在のコンピュータでは足下にも及ばない超高度な情報処理の賜物なのである。

それが証拠に、 コミュニケーション能力の欠如が、 超人的な能力の開花につながることがある。 つまり本来ならコミュニケーションという高度な情報処理をこなすために あったはずの大脳皮質の一部が、 別の目的に使われてしまうために発症する知的障害の一形態である。

サヴァン症候群(savant(仏語で「賢人」の意) syndrome)とは、 知的障害を伴う自閉症のうち、ごく特定の分野に限って、 常人には及びもつかない能力を発揮する者を指す。 サヴァン症候群の共通点として、 知的障害と共に異常といえるほどの驚異的な記憶力・表現力を持つことが挙げられる。

天才の多くに、 コミュニケーションに関して大なり小なりの難があるのは偶然ではない。 コミュニケーションという超高度な情報処理能力の一部を放棄することによって 確保した「脳の空き容量」を使って、 常人には成し得ない偉業が達成されているのである。 そして忘れてはいけないのは、 天才の多くが不幸なまま一生を終えている点である。 死んだ後に全世界の尊敬を一身に受けたところで後の祭りである。

若いうちからコミュニケーション能力を磨き、 大多数の人が興味を持たないようなことには決して手を出さず、 フツーの人と同じことに考え、同じように振る舞うことこそ、 幸せな一生への最短経路であり、 大多数の人にこのような幸せな人生をおくらせるような教育を行なうことこそが、 格差のない平和な社会への唯一の道であろう。

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大変遺憾なことではあるのだが、 私自身は中学生の時に当時まだ大変珍しかったパソコンに出会ってしまった。 パソコンにのめり込んでいったために、 自身のコミュニケーション能力を伸ばす努力を怠ったのは、 目新しいものに惹かれる若さゆえのあやまちだったと認めざるを得ない。 当時パソコンに興味を持った人は全人口の 0.01% にも満たなかったはずで、 その後マイナー路線を突っ走ってしまった。 通った中学校に、 たまたま「マイコン部」があった不幸な偶然に感謝したい。

(続く)



hiroaki_sengoku at 07:37|この記事のURLComments(1)TrackBack(5)技術者の成長