仙石浩明の日記

2006年5月15日

「知らないこと」と「分からないこと」

CTO日記のほうに、 興味深いコメントを頂いた。 質問者のかたは、 こちらの日記も読んで頂いているようなので、 こちらで続きを書こうと思う。 「分からない時は、『分からない』と言おう」で書いた、 技術者がスキルアップするには、 分からないことがあるときは臆せず質問できる度胸こそ必要、という 私の考えに対するコメントであるが、曰く、

ここで言われている『分からない』という言葉の中には 「知らない」と「理解できない」の二つの意味が含まれているということです。
「知らない」ことについては、(自分を含めて)みんなが知らないことなのか、 自分だけが知らないのかすら判断できないから なかなか質問ができないのだと思います。 聞いた内容によっては(たとえ説明したとしても) そもそもその場で話している内容はまったく分かってないんだな、 と思われたりします。聞くのは危険だと思います。
「理解できない」ことについては聞いた内容について 自分の中で消化できないわけなので、 恥ずかしがらずに質問できるような人になれたり、 環境ができればいいと思います。

「知らない」ということと「理解できない」ということは確かに違う。 私が書いたのは、「理解できない」ということについてであって、 「知らない」ということについては言及していなかった。 「理解できない」ことについては、「恥ずかしがらずに質問できるような人」に なれたらいい、と書かれているので、私と同意見のようだ。

ところが、「知らない」ことに対する考え方は私と全く違うようだ。 この質問者のかたは、「理解できない」より「知らない」ことの方が恥ずかしい、 という感覚のようだが、 私の感覚は全く逆である。 つまり、「知らない」ことは全く恥ずかしいことではない、と私は思う。 だからこそ、「知らない」ことについてはあえて言及していなかった。

「知らない」ということは、たまたまそのことについて 知る機会がなかった、というだけのことである。 誰でも最初は初めてである。 今がその初めての機会であるなら、さくっと質問して 知ればいいだけのことであろう。 どうして今まで知る機会がなかったことが恥ずかしいのであろうか?

「当然知っておくべきこと」だから? では、なぜそれを「当然」と思うのか?
あたかも、どこかの誰かが決めた、 「技術者ならば常識」というのがあって、
それを知らないのは技術者として失格、とでも言いたいのだろうか?

全くもって馬鹿げている。 たとえその人が「常識」を知らなかったとしても、 素晴らしい能力を持っているかもしれないではないか。 知識の多寡で技術者の能力を推し量ることなど無意味である。 仮に、「常識」を知らないことを理由に馬鹿にする人がいるのであれば、 所詮そのレベルの技術者なのであろう、相手にする必要はない。

一方で、「理解できない」ということは、場合によっては恥ずかしいことである。 もしかすると、質問したことによって、 自身の理解の限界、あるいは自身の理解の速度の遅さを 思い知ることになるかもしれない。 その限界があまり高いレベルでない場合は、 つまり平均的な技術者がすぐ理解できることが、 自分にはすぐには理解できないのだとしたら、 その分野は自分には向いていないということになるだろう。

いままでそのことに気付かなかったのは恥ずかしいことであるが、 なにごとも遅すぎるということはない、 その分野はあきらめて、自分の得意な分野に集中すれば良いだけである。

Filed under: 技術者の成長 — hiroaki_sengoku @ 08:03

1 Comment »

  1. 「平均的な技術者がすぐに理解できることが、自分にはできないとしたら、その分野には向いていない」って、極論すぎるだろぉー。
    理解というのは、速度が問題ではなく、正しく理解することが大事なんです。

    Comment by 極論 — 2007年5月6日 @ 17:35

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